東京へ出て
大学生活や一人暮らしよりも、バレエをすることを楽しみに東京へ出たはずが、初めはスタジオを探すのにとても苦労しました。
結局、出だしの1年は、大学でダンスのサークルに行って、腰のあたりへジーンズを下げて、流行りのHIPHOPやジャズダンスを踊ってみたり、お酒の強さだけを武器に自由な一人暮らしを存分に楽しんで、あっという間に大学2年生になります。
転機がありました。
地元の教室で一緒だった子が、上京してきて、
「会員制のオープンスタジオでバレエのレッスンしているよ」
と教えてくれたんですね。
スタジオはとても都会的な立地で、
スタバのコーヒーを持って表参道を歩く、なんて地方から出て行った女子にとって、もう、とーってもキラキラした世界を体験させてもらえました。
しかも、目を合わせるのも憚られる有名人の俳優さん、テレビで見る歌手の方のバックダンサーや、ディズニーダンサー、プロのダンサーがたくさん来ていました。
私からしてみたら、雲の上にいきなり上がったような異世界。
大学の授業よりも、スタジオのレッスンが最優先になりました。
交通事故
2年生になってすぐ、交通事故に遭いました。
しぶしぶ通ったお茶のお稽古の帰り道で車にはねられ、救急車で運ばれました。
幸い命には関わらなかったんですけれども、頭を打って、切れてパックリ、首のむち打ちが結構ひどかったです。
大学に行けず、1ヶ月ぐらい地元で通院と療養をして、また東京へ戻ってたのですが、
そこから回復してバレエができるようになるには時間がかかりました。
少しずつ回復して、大学3年生になる頃には、バレエのレッスン優先の生活に戻ります。
毎日毎日レッスンができて、思いどおりの充実した日々でした。
翌年には、クラシックバレエではない、なんともオシャレな作品を踊れることになり、嬉しくて楽しくて、明けても暮れても、その作品のことばかり考えていました。
当時まだMDウォークマンです。
本当に四六時中、その作品の音楽をずっと聞いて、大学の体育館でも勝手に踊っていました。
卒論の準備はそっちのけ、この後悔は今でも夢見に影響しています。
私は、この、オシャレ作品への情熱は
「私にとってチャンスだ」
と、はっきりと思っていました。
漠然と、はっきり、そう思っていたんです。
天井
同じ頃、大学の先生(岸田ゼミは脱退)の勧めで、舞踊系の研究ができる国立大学院を受験しないか、と言ってもらって、受験英語の勉強を始めました。
バレエも勉強も楽しくて、花の一人暮らしはすっかりおとなしい生活になり、この頃、夜遊びや合コンに出かけた記憶がありません。
夏になり、
MDウォークマンに助けられ、オシャレ作品で全力を出し切った私、
通っていたオープンスタジオのボス、バレエ界の重鎮と言われた先生から、いきなりお声がかかります。
「あなた、私の作品に出ませんか」
と言っていただいたんですね。
もう私は、それはそれは天にも昇るというか、夢か現実かわからないぐらいの喜びでした。
でも、その本番とリハーサルの期間が大学院受験の時期と重なっていた。
もう私、迷わず大学院受験を捨てました。
そして、この経験が大きな分岐点となりました。
本番2日間の公演に、地元の両親も、お弁当の友人と彼女のお母さまも招待して、東京のプロのダンサーたちととっても都会的な作品を一緒に踊らせてもらって、自分の実力のなさを
またたっぷりと感じた私、
それでも幸せで、満足でした。
そして、
私にとって、ここが私のバレエの頂点だ。
私の実力で登っていけるところは、ここが頂点、
ここがマックス、ここが最高潮、
私がバレエの世界でこれ以上を味わうことはない。
というふうに、自分であっさり天井を決めてしまった。
東京には全く未練がなく、大学卒業と同時に地元へ戻りました。
(まだ続きますが、そろそろコンクールの本番が近づいてきたので次こそ完結させます)



ハラハラ、ドキドキの展開ですね。
まだ続きがあるなんて♪
わ〜い、楽しみ〜😁